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infomation福住ってどんな町?

地名の由来

明治4(1871)年、岩手県盛岡市から月寒に入植した開拓移民44戸のうち、6戸は月寒川を挟んで東側の少し離れた場所にあったことから、通称「六軒村」とよばれたのが福住地区開拓の始まりです。また、開拓当初は、歩行も困難な密林地帯や、一部はススキが生い茂る湿原が広がっていたことから、「茅野」とも呼ばれていました。その後「月寒西通」と改められ、昭和19(1944)年に北海道庁による字名変更の指導で、月寒は「つきさっぷ」から「つきさむ」となり、あわせて旧字名「六軒村、西通、ウラウチナイ川添」などが、「豊平町福住」と改称されました。
「福住」の地名は。幸福の住む郷になるようにとの願いから名付けられたと言われています。昭和36(1961)年に豊平町は札幌市と合併、昭和47(1972)年4月札幌市は政令指定都市となり7区が誕生し、豊平区福住となりました。(現在は10区)

おいたち

開拓以降、この地は農業を中心に発展しました。明治時代はソバ、大豆、小豆、麦などの作付から始まり、その後昭和に入ると、ジャガイモをはじめ、野菜の生産が中心となり、また、リンゴの栽培も大正7年には本格的にはじまり、昭和25年頃に最盛期を迎えました。しかし、昭和32(1957)年以降になると、農地に、次々と住宅地の造成が進められ、昭和45(1970)年には市街化区域に指定され、さらに宅地化が進みました。

札幌の地下鉄は、冬季オリンピック大会が開催される前年の昭和46(1971)年12月、札幌に地下鉄南北線が開通し、昭和51年に東西線、昭和63年に東豊線が開通、その後、平成6(1994)年東豊線の延長区間、豊水すすきの〜福住間が開通しました。平成9年、福住地区町内会連 合会は西岡・福住地区町内会連合会から分町し設立され、福住まちづくりセンター、福住地区会館、福住開拓記念館が合築で建設されました。

平成13(2001)年には、福住のお隣の羊ケ丘に全天候型多目的施設「札幌ドーム」が完成。野球・サッカー開催時の収容人数は約4万2千人で、開業以来「北海道コンサドーレ札幌」のホームスタジアムとして、2004年からは「北海道日本ハムファイターズ」の本拠地球場として使用されており、試合のある日の福住駅周辺は、沢山の人でにぎわいます。また、地下鉄駅周辺は、マンションが建ち並び人口も増えました。
令和元年7月1日現在、福住地区内の人口は16,347人(男性7,539人/女性8,808人)、8,021世帯です。

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